心理カウンセラー関一真のブログ

心理カウンセラー、心理学講師、占い師のブログです。

清姫の恨み

今週の観音さまは、六時観音さまです。


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時が全てを空しくしてしまいます。

最高に幸せだったあの頃、あるいは最悪な出来事への燃え上がる怒り。

それらを抱え続け、しがみ付き続けていると、どんどん今という時間から置いていかれてしまいます。

終いには本来のあるべき姿や、目的さえ忘れて、その執着をし続けることが最大の目的になってしまいます。

恐ろしいことです。

 

歌舞伎の演目に、京鹿子娘道成寺があります。

美しくて大好きな演目のひとつですが、その中にもこの「時」が大きなテーマとして根底にながれています。

舞台は安珍清姫伝説から数百年後の道成寺

そこに白拍子に扮した清姫の怨霊が現れるお話ですが、もうそれだけ時間が経ってしまうと、愛しい安珍はどこにも存在しません。

恨み恨んでついにはまた蛇体となって怨霊の本性を表しますが、恨む相手はもう居ません。

相手がもう居ないのは知りつつも、何百年も恨み続けてるんでしょうね。

恨むことが存在することとイコールになっているのかもしれません。

執着の恐ろしくも悲しい、凄みを感じます。

 

私たちの心には、何百年レベルの執着までいくものも中にはあるかもしれませんが、大小様々な執着、ありますね。

幸せだったあの頃、辛酸を嘗めたあの頃、ポジティブなものにもネガティブなものにも私たちは執着します。

そしてその過去から今が離れれば離れる程、過去を終わらせて今を生きることが難しくなります。

いつの間にか開いてしまったギャップに怖じ気づいてしまいます。

何故なら、過去と比べて今には何もないと錯覚しているからです。

 

私たちが本当に今を幸せに生きるためには、そんな過去と折り合いを付けて、今を生きる必要があります。

時は常に一方向に一定の速度で進み続けています。

立ち止まっている間に、今との開きはどんどん大きくなってしまいます。

手放しても、思い出は残ります。

そっとそのしがみ付いている手を放してみてください。

 

 

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