今週の観音さまは、六時観音さまです。
時が全てを空しくしてしまいます。
最高に幸せだったあの頃、あるいは最悪な出来事への燃え上がる怒り。
それらを抱え続け、しがみ付き続けていると、どんどん今という時間から置いていかれてしまいます。
終いには本来のあるべき姿や、目的さえ忘れて、その執着をし続けることが最大の目的になってしまいます。
恐ろしいことです。
歌舞伎の演目に、京鹿子娘道成寺があります。
美しくて大好きな演目のひとつですが、その中にもこの「時」が大きなテーマとして根底にながれています。
そこに白拍子に扮した清姫の怨霊が現れるお話ですが、もうそれだけ時間が経ってしまうと、愛しい安珍はどこにも存在しません。
恨み恨んでついにはまた蛇体となって怨霊の本性を表しますが、恨む相手はもう居ません。
相手がもう居ないのは知りつつも、何百年も恨み続けてるんでしょうね。
恨むことが存在することとイコールになっているのかもしれません。
執着の恐ろしくも悲しい、凄みを感じます。
私たちの心には、何百年レベルの執着までいくものも中にはあるかもしれませんが、大小様々な執着、ありますね。
幸せだったあの頃、辛酸を嘗めたあの頃、ポジティブなものにもネガティブなものにも私たちは執着します。
そしてその過去から今が離れれば離れる程、過去を終わらせて今を生きることが難しくなります。
いつの間にか開いてしまったギャップに怖じ気づいてしまいます。
何故なら、過去と比べて今には何もないと錯覚しているからです。
私たちが本当に今を幸せに生きるためには、そんな過去と折り合いを付けて、今を生きる必要があります。
時は常に一方向に一定の速度で進み続けています。
立ち止まっている間に、今との開きはどんどん大きくなってしまいます。
手放しても、思い出は残ります。
そっとそのしがみ付いている手を放してみてください。
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